ハワイアンキルトのことならどんなことでも -アンのハワイアンキルト-

アンのキルト歴史と今までの活動

1999年までは本当の趣味として、ハワイアンキルトを楽しんでいました。

作品の数は本当に多いのです。ホテル・ハナマウイでハワイアンキルトの虜になってから、ずっとハワイアンキルトの事しか考えていませんでした。

趣味で作っていた頃

まずはクッションのキットを買い、見よう見まねで作ってみました。でもこれがうまく行かず、本当に苦労しました。色違いで2つもクッションを作りました。

この色がオフホワイトにグリーンとオフホワイトにピンクのハイビスカスでした。今でも現役のクッションとして家で愛用しています。






desined by Kathy Tsark
あまりにも難しかったので、これは何か簡単にできる方法があるはず!と思い、先生に習いに行ったのです。お友達のお母さんがレッスンを受けていたので、即レッスンを。ここでパンノキの壁掛けを作ったのです。

カイムキのキルツン・コアのキャシーが私の最初のキルトの先生です。

designed by Kaiki - Ulu Baby Quilt
それからは、クッションを数個作り、パンノキのベビーキルトを作りました。娘がパープルが好きなので、パープルの濃淡で作りました。これには約3ヶ月かかったような気がします。夏にクッションを作り始めて、クリスマスにはこのベビーキルトが完成してたのですから。

それからはとにかく猛スピードでいろいろな作品に手をだし...

desinged by Sharon Balai
その翌年はベビーキルトをまた作り、キングサイズのベッドカバーに手を出したのです。チャレンジですよね。その頃から、当時シェラトン・ワイキキ・ホテルで週に一回、キルトのデモンストレーションをしていたアンティレイと出会いました。今でも私の大切なアンティーの一人です。そしてビショップ博物館ではアンティーデビー、ナラニさんなどにも出会っています。その当時、キャシー中島さんもビショップ博物館でお会いしましたね。

在りし日のアンティーデビー
ハワイアンキルトの本もそんなに数がなかったので、キルトの本を見ると買いあさっていました。今でも大切なコレクションになっています。キルト展があると行き、本物のキルトを見て、「私の作品はまだまだ」と反省しては続けていました。そのころはハワイ島に住まれている、シャロンバライさんのデザインが大好きで良く作っていました。クリスマスや人のお誕生日には必ず、キルトを差し上げていました。おかげでその当時のキルトは手元にあまり残っていません。久しぶりにお友達のところに行って、昔の作品に出会うと嬉しいような、恥ずかしいような。。とても不思議な気持ちになりますね。

ハワイアンキルトをさらに追求

私の大好きだったアンティーレイ
そして運命の1999年。ウェブサイトの立ち上げにカルチャーのコラムが必要ということで、ハワイアンキルトのコラムを担当するようになりました。これが 毎週締切で、今考えてみれば、殺人的な依頼でしたね。(笑)この依頼をされていた方は今でも私の素敵な友人の一人になっています。
http://www.hawaii-arukikata.com/culture/quilt/quilt1.html

そして自分のウェブサイトを立ち上げることになったわけです。ハワイアンキルトのコラムがたくさんの方々に支持していただいたので、ウェブサイトを作っ て、もっとハワイアンキルトのことを深く知っていただきたかったこと、本物のキルトについての情報などをお知らせしたかったですね。そのころから自分のデ ザインを描くようになりました。毎年キルトハワイの展示会、ハワイ島でのキルト展、ミッションハウス、ホノルル美術館、ビショップ博物館のキルト展など、 有りとあらゆるキルト展には出かけました。またいろいろなキルターにお話しを聞いたり、作品を見たりキルトは知れば知るほど、奥が深いことを知らされました。

2002年7月お台場ドット混むでのオアフ観光局のブース
2001年、世界を変えてしまった大変な事件が起こりました。9・11です。世の中が本当に変わってしまいました。私は国際線のフライトアテンダントと雑 誌のコーディネーターをしていたので、ハワイ、ニューヨーク、日本の往復をずっとしていました。事件の日はラッキーにもハワイにいましたが、そのちょうど 1週間前にNYのトレードセンターの最上階にお友達と遊びに行っていました。胸が痛み、何をしたら良いのかが、よくわかりませんでした。

そこでハワイのお友達と私のできるハワイアンキルトで何かできないか?を考え、日本の千羽鶴を思い出したのです。千羽鶴のモチーフをキルトにできないか?  そこで千羽鶴のフレンドシップキルトを思いつきました。ウェブサイトで1ピースごと募集しました。たくさんの方々のご協力により324ピースが集められ ました。1ピースに鶴が1羽だと、1000人の方から送っていただかないといけないで、1ピースには3羽鶴を描きました。

2003年7月キルトハワイ、ホノルルで開催された時の様子
途中経過は2002年の、フジテレビお台場ドットコムにて、発表しました。このイベントではオアフ観光局のブースに10日間、私の作品とともに、展示していただきました。

2003年のキルトハワイで多くのキルターの方々に協力していただき、元ビショップミュージアムのキルターの方々がキルティングをしてくれ、とうとう完成したのでした。

2004年2月にいろいろな方々のご協力により、東京お台場のメレディアンホテルのアトリウムにて、展示させていただきました




2004年2月お台場メレディアンホテルのアトリウムでの展示会の様子
千羽鶴フレンドシップキルトはニューヨークに9・11のメモリアル館が完成したときに、ハワイと日本の合作、慰霊としてニューヨークに捧げたいと思ってい ます。それが私にできる、たくさんの方々の貴重な時間と労力を費やしていただいたことへの感謝と犠牲なられた方々への慰霊の気持ちだと信じています。この 千羽鶴のフレンドシップキルトで、私もどれだけ励まされたことか、言葉では言い表せません。本当にたくさんの方々の気持ちが込められているのです。

 
 







またこのフレンドシップキルトを通して、たくさんの出会いもありました。元ビショップミュージアムのキルターのフミイさんを始め、たくさんの方々にお世話 になりました。またその事をインタビューしてくださった新谷ご夫婦にはマカハキルターズも紹介していただきま
2003年7月キルトハワイ、ホノルルでお手伝いして下さったマカハ・キルターズ、元ビショップ博物館キルターズの皆様。大好きなフミイさんが毎日参加して下さいました

した。新谷さんはマカハからたくさんのキル ターを連れ、キルトハワイ2003の会場にも来てくれました。

日本で千羽鶴キルトの数ピースを送ってくださった人たちも、わざわざハワイに来て、キルティングを手伝ってくださいました。キルトハワイ2003は同窓会のような、素敵な出会いの場でした。

そして、2004年の7月には待望の本を出版しました。出版に当たってはたくさんの方のご協力をいただきました。今でもこの本は私の夢の一つだったので、宝物になっています。

これからも今まで以上に、ハワイアンキルトをたくさんの人に知っていただきたいと思い、ウェブサイトをより新しく、充実させたいと思っています。

たくさんの方々に支えていただき、今の私が存在します。多くの方々に感謝の気持ちで一杯です。今後はハワイの自然をもっと知っていただき、ご一緒にハワイ アンキルトをできる機会を作って行きたいです。