アンのハワイアンキルトについて

アンのキルト歴史と今までの活動

アメリカの高校でパッチワークと出会い、その後1995年から1999年までは大好きな趣味として、ハワイアンキルトを楽しんでいました。

1995年にホテル・ハナマウイでハワイアンキルトの虜になってから、ずっとハワイアンキルトの事しか考えていませんでした。

趣味で作っていた頃

まずはクッションのキットを買い、見よう見まねで作ってみました。これがうまく行かず、本当に苦労して色違いで2つもクッションを作りました。

この色がオフホワイトにグリーンとオフホワイトにピンクのハイビスカスでした。今では生地が朽ちてしまい、引退してもらいました。

 

 

 

 

あまりにも難しかったので、これは何か簡単にできる方法があるはず!と思い、お友達のお母さんに先生を紹介していただき、ハワイアンキルトのレッスンを受け始めました。初めて作るキルトにはパンノキのデザインを使うと実のあるハワイアンキルトライフを続けられるということでパンノキの壁掛けを作ったのです。(Designed by Creative Stitches)

 

 

 

 

 

カイムキのキルツン・コアのキャシー先生が私の最初のキルトの先生です。
それからは、クッションを数個作り、パンノキのベビーキルトを作りました。娘がパープルが好きなので、パープルの濃淡で作りました。これには約3ヶ月で完成していました。(designed by Kaiki – Ulu Baby Quilt)夏にクッションを作り始めて、クリスマスにはこのベビーキルトが完成してたのですから。

 

 

 

それからはとにかく猛スピードでいろいろな作品に手をだし…
その翌年はベビーキルトをまた作り、キングサイズのベッドカバーに手を出したのです。チャレンジャーですよね。その頃から、当時シェラトン・ワイキキ・ホテルで週に一回、キルトのデモンストレーションをしていたアンティレイと出会いました。(写真左)今でも私の大切なアンティーの一人です。そしてビショップ博物館ではアンティーデビー、ナラニさんなどにも出会っています。その当時、キャシー中島さんもビショップ博物館でお会いしましたね。
ハワイアンキルトの本もそんなに数がなかったので、キルトの本を見ると買いあさっていました。今でも大切なコレクションになっています。キルト展があると行き、本物のキルトを見て、「私の作品はまだまだ」と反省しては続けていました。そのころはハワイ島に住まれている、シャロンバライさんのデザインが大好きで良く作っていました。(Designed by Sharon Balai) 家族や友達にクリスマスやお誕生日には必ず、キルトを差し上げていました。おかげでその当時のキルトは手元にあまり残っていません。久しぶりにお友達のところに行って、昔の作品に出会うと嬉しいような、恥ずかしいような。。とても不思議な気持ちになりますね。

ハワイアンキルトをさらに追求

そして運命の1999年。ウェブサイトの立ち上げにカルチャーのコラムが必要ということで、ハワイアンキルトのコラムを担当するようになりました。これが 毎週締切で、今考えてみれば、殺人的な依頼でしたね。(笑)この依頼をされていた方は今でも私の素敵な友人の一人になっています。
http://www.hawaii-arukikata.com/culture/quilt/quilt1.html

そして自分のウェブサイトを立ち上げることになったわけです。ハワイアンキルトのコラムがたくさんの方々に支持していただいたので、ウェブサイトを作っ て、もっとハワイアンキルトのことを深く知っていただきたかったこと、本物のキルトについての情報などをお知らせしたかったですね。そのころから自分のデ ザインを描くようになりました。毎年キルトハワイの展示会、ハワイ島でのキルト展、ミッションハウス、ホノルル美術館、ビショップ博物館のキルト展など、 有りとあらゆるキルト展には出かけました。またいろいろなキルターにお話しを聞いたり、作品を見たりキルトは知れば知るほど、奥が深いことを知らされました。

2001年、世界を変えてしまった大変な事件が起こりました。9・11です。世の中が本当に変わってしまいました。私は国際線のフライトアテンダントと雑誌のコーディネーターをしていたので、ハワイ、ニューヨーク、日本の往復をずっとしていました。事件の日はラッキーにもハワイにいましたが、そのちょうど 1週間前にNYCのワールドトレードセンターの最上階にお友達と遊びに行っていました。胸が痛み、何をしたら良いのかがよくわかりませんでした。

そこでハワイのお友達と私のできるハワイアンキルトで何かできないか?を考え、日本の千羽鶴を思い出したのです。千羽鶴のモチーフをキルトにできないか? そこで千羽鶴のフレンドシップキルトを思いつきました。ウェブサイトで1ピースごと募集しました。たくさんの方々のご協力により324ピースが集められ ました。1ピースに鶴が1羽だと、1000人の方から送っていただかないといけないで、1ピースには3羽鶴を描きました。

途中経過は2002年の、フジテレビお台場ドットコムのイベントにて発表しました。このイベントではオアフ観光局のブースに10日間、私の作品とともに展示していただきました。

2003年のキルトハワイで多くのキルターの方々に協力していただき、元ビショップミュージアムのキルターの方々がキルティングをしてくださり、とうとう完成したのでした。

2004年2月にいろいろな方々のご協力により、東京お台場のメレディアンホテルのアトリウムにて、展示させていただきました。

千羽鶴フレンドシップキルトはニューヨークに9・11のメモリアル館が完成したときに、ハワイと日本の合作、慰霊としてニューヨークに捧げたいと思っていました。そして2009年9月に完成した9.11メモリアルに寄贈させていただきました。それが私にできる、たくさんの方々の貴重な時間と労力を費やしていただいたことへの感謝と犠牲なられた方々への慰霊の気持ちだと信じています。この 千羽鶴のフレンドシップキルトで、私もどれだけ励まされたことか、言葉では言い表せません。本当にたくさんの方々の気持ちが込められているのです。

またこのフレンドシップキルトを通して、たくさんの出会いもありました。元ビショップミュージアムのキルターのフミイさんを始め、たくさんの方々にお世話 になりました。またその事をインタビューしてくださった新谷ご夫婦にはマカハキルターズも紹介していただきました。新谷さんはマカハからたくさんのキルターを連れ、キルトハワイ2003の会場にも来てくださいました。

日本で千羽鶴キルトの数ピースを送ってくださった人たちも、わざわざハワイに来て、キルティングを手伝ってくださいました。キルトハワイ2003は同窓会のような、素敵な出会いの場でした。

そして、2004年の7月には待望の本を出版しました。出版に当たってはたくさんの方のご協力をいただきました。この本は私の夢の一つだったので、今でも宝物になっています。その後2006年、2012年、2014年、2021年と本を出版させていただきました。

今後も今まで以上に、ハワイアンキルトをたくさんの人に知っていただきたいと思い、ウェブサイトをより新しく、充実させたいと思っています。

たくさんの方々に支えていただき、今の私が存在します。多くの方々に感謝の気持ちで一杯です。今後もハワイの文化や自然、伝統的なハワイアンキルトをもっともっと日本の皆様にお伝えしようと思います。

メールマガジン購読

ご希望の方はメールアドレスを入力の上、「購読確認メールを送信」ボタンをクリックしてください
入力されたメールアドレス宛に購読確認メールをお送りしますので、購読を完了してください。

Loading